米田哲也さんの妻は現役時代に食事管理をしていました。
さらに、移籍時には単身赴任になる事を嫌い、阪神を選びました。
米田哲也さんの1971年時の年俸は1300万円でした。
当時のパリーグの年俸はセリーグの選手に比べ、かなり低い時期だったそうです。
そんな米田哲也さんは2016年から築50年で家賃5万円の木造アパートにお嫁さんと一緒に住み、家賃を2017年秋以降滞納してるというかなり苦しい生活状況だったそうです。
当記事では、そんな米田哲也さんのお嫁さんと年俸について書きました。

米田哲也の妻(嫁)は料理上手?
引用:NEWSポストセブン
米田哲也さんの現役時代の食事管理は妻がしていました。
なので、お嫁さんは料理上手な方である可能性がありますね。
ちなみに米田哲也は登板した後は食事をせず、翌日も軽食。だんだん食事の量を増やし、登板前夜は3000円もするステーキを平らげていた説がある。スポニチ記事で読んだ。
食事の管理は奥さんがしていて、登板日が分からない時は西本幸雄監督に聞いていたというから熱意がすごい。通算350勝の立役者である。
引用:黒紫スポーツ新聞
単身赴任になる事を嫌い、阪神に移籍
そんな米田哲也さんですが、1975年のシーズン途中に移籍をされています。
その時に、獲得に乗り出したのは、大洋と阪神になり、大洋は条件の上積みを提案するも、単身赴任になる事を嫌って、阪神に決めています。
なので、1975年の37歳の時点では、もうすでに妻がいてたっぽいです。
獲得に手を挙げたのは大洋と阪神。大洋は条件の上積みを提案したが、米田は単身赴任を嫌い阪神を選んだ。
引用:産経新聞
ちなみに、米田哲也さんにサインを貰った人のXの投稿にて
と書かれています。
この奥さんは、米田哲也さんのお嫁さんの事を指してるんですかね?
凄いオーラでした。「おいっ 米田哲也と違うか」誰も直ぐには前に行けず、思い切って、「米田さんと違いますか?サイン貰えますか?」コックリ頷かれただけで、奥さんに目配せして、参道脇に歩んで、ハンカチや手帳にサインと、大きな手で一人つづ握手して下さいました。田舎の正月の思い出です。 https://t.co/elcffhuEpB
— 掛布哲也 2020 (@A1eQQLiiBzI0ZoN) November 11, 2020
米田哲也さんの子供に有無や詳細情報に関しては一切出て来ませんでした。
掛布雅之の妻を紹介
米田哲也さんは、1970年に掛布雅之さんに、掛布さんのお嫁さんの住谷安紀子さんを紹介しています。
試合後に掛布さんは米田哲也さんに声かけられ、その後レストランで住谷家の人達を紹介され、その中に当時高校1年生の妻がいたそうです。
2人の出会いは昭和50年、まだ安紀子さんが大阪府池田市にある女学校、宣真学園高の1年生だった頃だ。愛のキューピッドになったのは、阪急から阪神に移籍してきた大投手の米田哲也。
ある日の試合後、「カケちょっとついてこい」と米田から声をかけられた掛布は、ユニホーム姿のまま上にジャンパーを羽織った格好で、同府豊中市のあるレストランへ連れて行かれた。そこで住谷家の人たちに紹介された。その頃の安紀子さんは夢みる少女。歌手に憧れ、大阪・東天満にある「国際アカデミー音楽学院」にも通っていた。
こちら婚約発表時の23歳の掛布さんと19歳(金蘭短大1年)の妻の安紀子さんです。
引用:産経新聞
さらに、2022年5月8日の名球会チャンネルにて、当時について米田哲也さんが話されています。
米田哲也さんは掛布さんの父親を知ってたので、西京極での試合帰りに掛布さんに声を掛けたそうです。
住谷家には娘が2人いて、元々は長女の方を紹介しようと思っていましたが、いつの間にか反対になり、次女の方になってたそうです。
米田哲也さんは「これから追いかけられるんだから。住谷家に行って寝とけ」と掛布さんに言ったそうです。
そして、掛布さんも住谷家には度々行ってたそうです。
妻(嫁)と築50年の木造アパートに住んでる
2025年4月2日のデイリー新潮にて、2016年から米田哲也さんは尼崎市の築50年の2DKで家賃は5万の木造アパートに妻と住んでる事が書かれています。
米田哲也さんはその家賃を2017年3月以降払ってくれていないそうで、500万円くらい滞納してるとか。
そして、家の保証人は妻だそうで、米田哲也さんの所に家賃の催促に行くと
「“もうちょっとしたらカネ入んねん”って、毎回同じこと言うんですよ。保証人が奥さんだから、どうしようもない。奥さんに聞いても、すぐ“主人を呼んできます”って引っ込んじゃう。3月にも行ったんですけどね。まあ、裁判となると弁護士を雇わないといけないし、私は元阪急ファンやからなあ」(同)
と言ったトラブルが起こったそうです。
米田哲也さんは今回を含め2025年に3回万引きをしてて、1回目は近くのドラッグストアで2回目はコンビニでしました。
1回目の時にはお嫁さんが迎えに来たそうです。
「警察もぎょうさん来とったで。ドラッグストアのときは奥さんがすぐに迎えに行った。コンビニのときには、おまわりが“お前またやっとんか”ってあきれてたらしいわ。このときは勾留されとったな。近所のおばちゃんが差し入れの服を持って行ったり、数千円のお金を持って行ったり。米田さんは“もうしない”と言ってたみたいや。いつだったか、彼に“おつとめご苦労さん”言うたら、ニヤッと笑いよったわ」(同)
近年の米田哲也さんの生活は楽ではなかったそうで、一時期は妻の身内に援助して貰うもそれが立ちいかなくなり、2024年の秋頃から生活保護を受け始めました。
どう見ても生活は楽ではなかったようで、
「一度、生活保護は受けてないのか聞いたら“そんなん、わしは受けてない”と言うてた。嫁さんの身内に援助してもらってたらしい。でも、それが立ちいかなくなったんやな。去年の秋ぐらいから、生活保護を受け始めたと思う。たまにケースワーカーが来てるから。一時はテレビもなかったいう話や。エアコン付けたのも去年のことやと聞いた」(同)
と言った感じで近年の米田哲也さんの苦しい生活状況が書かれていました。
米田哲也の現役時代の年俸が低すぎ!
米田哲也さんの1971年の年俸は1300万円だったそうです。
1956年から1977年にかけての実働22年間、阪急、阪神、近鉄に在籍。MVP1回、最多奪三振1回、最多勝利1回、最優秀防御率1回の主要タイトルを獲得。その驚異的なスタミナから歴代最高の通算先発626試合から獲得した勝利数は歴代2位の350勝でしたが、年俸はなんと1300万円と現在のドラフト1位の1年目の年俸よりも低いのは驚きです。
引用:プロ野球 歴代選手 逆年俸ランキング~投手編~
米田哲也さんと言えば、プロ野球歴代2位の949試合に登板し、歴代2位の350勝を達成した選手です。
そんな名選手の年俸と考えると、かなり低い年俸である事が分かりますね。
ちなみに、日本銀行の記事にて、1970年の1万円を現在の価値に換算すると
- 企業物価指数(国内企業物価指数):約2.5倍
- 消費者物価指数(持家の帰属家賃を除く総合):約4.6倍
となっています。
なので、米田哲也さんの年俸を現在に換算すると
かも?しれませんね。
財(モノ)やサービスの種類によって、価格の上昇率がまちまちであるため、お金の価値を単純に比較することはなかなか困難です。そこで、「今の物価は、昭和40年と比べてどのくらいの水準なのか?」という質問に置き換え、いくつかの数字を使って考えてみましょう。昭和40年当時に1万円で取引されていた物が、現在は何円ぐらいなのか、ということから、大体の価値が見えてきます。
ここでは、企業物価指数および消費者物価指数が1つの参考材料になります。企業物価指数を見ると、令和6年の物価は昭和40年の約2.5倍なので、昭和40年の1万円は令和6年の約2.5万円に相当する計算になります。また、消費者物価指数では約4.6倍なので、約4.6万円に相当するという計算になります(計算式参照)。
このように価格上昇率のモノサシとして何を使うかで計算結果はまちまちですので、あくまでも参考計数として考えてください。
パリーグの年俸はセリーグより低かった
2020年5月26日のNEWSポストセブンの記事にて、米田哲也さんが現役時代の給料事情を話されています。
1956年~1975年までパリーグの阪急ブレーブスに所属していましたが、当時はセリーグに比べかなり年俸が低い状態だったそうです。
1970年頃にかなりの好成績を残し、球団に年俸アップをうったえても「前例がないからダメ」と却下されていました。
当時、米田哲也さんは自身の年俸と阪神の三宅秀史さんの年俸の比べ、かなり多く貰ってたので愕然としたとか。
オールスターでは他球団、特にセの選手の給料の話が自然と耳に入ってくる。それが一番イヤだった。ボクがいた1970年頃の阪急なんか、どんなに好成績を残して年俸アップを訴えても、契約交渉では“前例がないからダメ”の一言で却下でした(苦笑)。
パでは西鉄や南海が高いほうだったけど、セとは雲泥の差です。阪神でサードを守っていた三宅(秀史)さんはボクの4歳上だけど、年俸を聞いて唖然とした。その頃すでに100勝していたボクより、全然多くもらってたから。そんな“恨み”があるから、パの連中が張り切るわけですよ
さらに、当時のオールスター選手の日当は1万円で、ホテル代を払うと赤字と言う状態でした。
当時のオールスターは選手の日当が1万円で、自腹でホテル代を払うと赤字。しかも監督やコーチはそれぞれのリーグの上位チームの監督が務めるから、(自球団の選手ではなく)下位球団のピッチャーを酷使する。それでもボクは球宴に出たくて仕方なかったんだから、本当に魅力があったんだろうね」
2重契約の真相は?
入団時代に阪神と阪急の2重契約の真相について、2022年5月8日の名球会チャンネルで話されてて
騙されてたそうです。
仮契約で父親がサインをするも、小さい字で「本契約とみなす」と書いてたそうです。
ただ、米田哲也さんは阪急は憧れの背番号の「18」を用意してくれるなどしてくれてた為に、阪神の契約変更は「無理」だったそうです。
阪急の契約金は80万円で、阪神の契約金は200万円でした。
そして、広島は熱心で契約金が300万円だったそうです。
以上が、米田哲也さんに関する記事ですね。
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